スイス憲法第6編、第1章 改正の冒頭に、
第192条 1 連邦憲法は、何時でも、その全部または一部を改正することができる。 とあります。 憲法に限らず「制度」にたいするスイスの姿勢が「民間防衛」の第1章「平和」のなかの「国家がうまく機能するために」に書かれています。 以下に、省略をいれて要約紹介します。 スイスの過去には過失もあった。過失を認めるは将来をはっきり見通すために必要である。過失の一つに、われわれの祖先による近隣諸国への侵略と征服、それがもたらした破滅の危機がある。 その破滅の危機を充分に理解して、侵略戦争を放棄した。 この賢明さによって平和がもたらされた。平和を守り続けることによって、世代から世代にわたって国民の期待にこたえる国を、石を一つづつ積んでいくように建設することができたのである。 完全な国をつくるためには、常に手を加えなければならない。 わが民主主義の真価は、絶えず必要な改革を促すことである。どのような制度も、生きものと同じように、それ自体の生命力によって変化することからのがれるわけにはいかない。 (中略) 国民や、国民を代表する議員が、常に注意深く制度を見守ることは、どうしても必要である。 この注意深く見守ることによって、制度の改革が求められてくる。それは改革であって、めくら滅法の破壊ではない。革命は、しばしば、益よりも害となる。 (中略) 権力が、ある個人に集中し、抑圧された人々が、その独裁者を追放するために立ち上がるほかなくなったときに、革命が必要となる。 民主主義は、何も生み出さないでじっとしていることと、破壊的に 転覆することとの間に通じる、狭い、山の背のような道を、用心深 くたどらねばならない。 各人の義務は、この法則に従って生き生きと生きることである。 公の問題に無関心であることは、この義務に忠実でないことを意味する。 (中略) 法は、われわれすべてを拘束するが、われわれを守るものでもある。 われわれも法の制定に参加せねばならない。もし、制度の改善のために何もせず、共同体の管理に参加しないならば、自分たちの制度について不平を言う資格はない。 以上引用終わり スイス憲法第193条(全面改正)には、国民による憲法改正が決められてます。 1 連邦憲法の全面改正は、人民または連邦議会のいずれか一つが提案し、もしくは、連邦議会が決定することができる。 (注 スイスの連邦議会は国民院とカントン院の二院制です) 2 国民によるイニシアティブが出され、または、両院が一致しなかった場合には、国民が、全面改正を成就させるかどうかを決定する。 日本の場合、制度の改善のために参加することはできるだろうか? 残業や休日出勤を(自発的に)強要される人々、学校だけでは許してもらえず夜間、休日に塾に通わされたり、クラブやサークルに駆り立てられる子ども達。 いまの日本では、「国家がうまく機能する」ためには「怠ける権利」の確立が急がれる所以です。 by shiryouko | 2006-01-04 19:22 | 安全保障
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