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ナショナル・シリアル(名護さん発題)
 リチャード・ゴットという人の「ヒューゴ・シャベス」という本を見ていたら、憲法制定の話が出てきました。その中で興味をひかれたのは、米[コメ]をベネズエラのナショナル・シリアル(穀物)として規定しようとしたということです。

 実際、憲法上の条文として実現したのかどうかは知りませんが、勿論これは国民の食の好みを統制しようとしたわけではありません。輸入食糧に対して自給率を高めるという意味合いもあったでしょうが、それとともに米はベネズエラの風土に根ざした穀物であり米を国民食とすることによってベネズエラの風土を守ろうという意味が強かったものと思われます。

 こうしてみると日本の現状とも無関係ではいられません。稲作儀礼の祭司という側面も持っている天皇を象徴として仰ぎながら、日本の農村風景は次々とファースト風土化されつつあり、そのあげく日本の伝統的景観が損なわれているだけでなく都市郊外型の犯罪の温床になりつつある、というように日本人のモラル上の問題にもなってきつつあります。

 このような中で天皇よりも米を日本の象徴(ナショナルシリアル)とする方がよほど日本の風土と伝統に根ざした条項になるようにも見えます。

 勿論、憲法で人びとの食生活まで規定する必要があるのかという批判があるのは承知です。しかし憲法論議を人びとの生活に根ざしたものとする為には、憲法論としてこんなことまで論じてもいいんだという事例は貴重だと思います。

(白崎さんのコメント)
 チャベスの演説では、食糧の自給についての発言が多々みられますが、憲法的には、「環境権」について、国家の義務を厳しく定めているようです。たとえば、多様な生態系や種の保存、国立公園などの保護ですね。これらのことは、もちろん、改憲論議でも大いに学ぶべきでしょう。
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by shiryouko | 2005-12-14 09:50 | 日本の国柄

なぜ日米安保が必要なのか(関 曠野)
 東西冷戦はとっくに終ったのになぜ未だに日米安保が必要なのか、私には理解できません。また安保が必要な理由を客観的な資料に基づいて明快に論理的に論じた議論も見たことがありません。

 横須賀市では原子力空母の寄港に市をあげて反対で、35万人の市民が反対の署名をしました。しかし地元の民主党や社民党の議員はアメリカで政府や議会の関係者に会って「原子力空母だから反対。通常型なら歓迎」と言っている。なぜ通常型なら外国の空母を歓迎するのか。訳が分かりません。

 在日米軍は極東の安定、安全に寄与しているというセリフを耳にします。その場合は、北朝鮮と中国が危険な国とされているのでしょう。そこで両国の危険さ、およびこれもよくきくシーレーン防衛なるものについて考えてみます。

北朝鮮:
1)たとえ北が核ミサイルを数発所有していたとしても福井県程度の国力で戦闘機や戦車の燃料もロクにない北に日韓両国を軍事的に敗北させる能力はあるでしょうか。また攻撃にどんな利益があるのでしょうか。
2)もし北が侵略的な国だとしたら朝鮮戦争の再発で国土がまっ先に戦場になる筈の韓国がむしろ北との和解を進めているのはなぜでしょうか。
3)在日米軍がいるから北から守られているのでしょうか。かりに北の脅威を仮定しても韓国軍は戦力で北を圧倒しており、時々起きる衝突でも北はいつも負けています。

中国:
1)戦後の中国を軍事の面から振り返ってみます。まず朝鮮戦争への中国軍の介入は、前年に成立したばかりの自国の政権を防衛するためのものだったことは明らかです。
2)その後、インドやロシアと国境をめぐる軍事衝突がありました。これは喧嘩両成敗みたいなもので、現在は両国と和解しています。
3)1979年の二月のベトナムを一方的に攻撃しました。その直前の一月に米中和解が成立しています。旧ソ連は同盟国が自主的な動きを見せると制限主権論でハンガリーやチェコに軍事介入してきました。トウ小平は米中和解でソ連軍が侵攻してくる恐れがあるとみて、ソ連の意志を試すリトマステストとして親ソ的なベトナムを攻撃した訳です。とんでもないことではある。しかし中越戦争は侵略戦争とは言えません。
4)現在の中国は信望のあるソフトパワーとしての影響力の拡大を図っており、東南アジア諸国と領有権で揉めている南沙諸島でも低姿勢です。
5)増大するエネルギー需要が中国に軍事大国路線をとらせるという見方がある。しかし大戦前のブロック経済の時代では日独は軍事力による原油確保に走ったけれども、今のグローバル化の時代には市場でいくらでも原油を買える。しかも中国は外貨準備ではトップクラスの国です。
6)中国は膨張主義どころか、国家の統一が危うい国です。独立したら戦争を辞さないと台湾を脅すのは、もし台湾が正式に独立したら、中国各地で分離独立運動が一斉に発生しかねないからです。本土に投資してくれる台湾は金の卵で、攻撃の脅しは本音とは思えません。

シーレーン:
1)まず中立国になってしまえば戦時中でも公海でその船舶が攻撃される恐れはなくなるので、シーレーンなど考える必要はなくなる。まあ臨検などはあるでしょが。
2)大戦後にはイラン=イラク戦争の余波でホルムズ海峡の航行が危険になるといったことはありましたが、どこかの好戦的な国が国際的シーレーンを脅かしたといった例はありません。
3)もし台湾海峡が有事になり日本がアメリカと共に軍事介入したら、日本の船舶が中国の潜水艦の標的になることもありうる。でもこれはアメリカの手下になった日本の自業自得です。
4)シーレーンの脅威として実際にありうるのは、マラッカ海峡などでのイスラム過激派のモーターボートによる特攻攻撃です。これはゲリラなので海軍力では解決できません。
5)むしろ本当の脅威は、日本が安い外国の船と船員に頼って自国の商船隊がゼロに近いいびつな海洋国であることです。もしイスラム過激派が日本向けの船舶を無差別攻撃すると宣言したら、日本に物資を運んでくれる外国船は見つからず、この国は原油も食糧もなくなって国家的崩壊状態に陥るでしょう。
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by shiryouko | 2005-12-11 07:39 | 安全保障

生存権について[討論ブログ・白崎さん発題]
生存権について、障害者の方と以下の議論をしました。

 生存権を保障していない国の憲法で有名なのは、アメリカ合衆国憲法です。アメリカ憲法には、そもそも社会権の観念がありません。それから、福祉でよく話題に出される、スウェーデンやデンマークはどうでしょう。これも日本国憲法の生存権とは一味違っています。たとえば、スウェーデン統治法典第二条4項ですが、

4 公共機関は、社会のあらゆる分野における指針としての民主主義の理念を尊重し、および国民の私生活および家族生活を保護しなければならない。
 公共機関は、すべての人が、社会生活における参加と平等のための機会が得られるように努めなければならない。
 公共機関は、性、皮膚の色、国籍または人種、言語または宗教的帰属、障害、性的志向、年齢その他個人的事由に基づく差別と闘わなければならない。

 というようなことで、「平等権」のニュアンスが強いです。

 デンマーク憲法は75条二項で、「自己またはその扶養者の生活を維持することができない者は、ほかにその扶養に任ずるものがない場合、公的扶助を受けることができる。----」

 とあります。これは、公的扶助(所得保障)のことですね。

 日本の生存権は、マッカーサー憲法草案にかかわったベアテ・シロタがいろいろワイマール憲法などをひっくり返して原案をつくったのですが、最初の彼女の案は、国連憲章や国際労働機関基準など国際法を意識した具体的なものでした。それが、あとで、削られていまのようになりました。

 私見ですが、「健康で文化的な最低限度の生活」というのは、行政に恣意的な解釈をさせる問題の多い文言だと思われます。「最低限度」という文言をはずして、世界人権宣言や国際人権規約(国際法基準)のような「人間の尊厳ある生活」とかいう文言に変えて、そして、スウェーデンのように、公的機関に差別と闘う義務を課す規定も設けてもっと厳密にすべきです。あいまいなで、パターナリズム的(温情主義)な生存権規定は政治的な「道具」として利用されてしまいます。
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by shiryouko | 2005-12-09 07:55 | 障害者・高齢者

共和主義と民主制、また連邦制について(関曠野)
 共和主義と民主主義は区別しておく必要があります。日本では君主がいなければ共和制と皮相に理解されていることが多い。しかし共和主義はそれだけのものではない。

 現代の民主主義は議会制民主主義です。しかし議会と選挙だけを基準にするなら、ヒトラーも選挙で選ばれたのだし、企業献金による金権選挙でも民主的だということになる。

 これに対し共和主義は、公の論理です。公然、公開、公平という公が実現していること、公=人民の公論ということが社会に広く理解されていること、そうした公に基づいて法が立法され適用されていること。この公と法が共和制の論理なので、これは議会制民主主義とイコールではありません。

 してみると戦後日本には共和なき民主主義があったと言える。それは象徴天皇制が公を横領してしまったからです。
 今アメリカでブッシュ批判が高まっていますが、これはブッシュによる欺瞞、秘密主義が問題にされているので、公の論理による共和主義的な批判と言えるでしょう。

 また連邦主義は共和主義から出てきたもので、個人の自由の尊重に由来するものです。

 まずヨーロッパではオランダとスイスという連邦制の自由な小共和国があった。その実例を踏まえてモンテスキューやルソーが連邦主義を説きました。
 大国は国をまとめるのが大変なので権力が専制的になりやすい。そして国民も政治的に卑屈になったり無関心になったりする。小国なら治めるのが簡単なので共和制にして市民に自由を認めても国が乱れる心配はない。そこから小国だけが自由で民主的な共和国でありうるということになる。
 では大国をできるだけ自由で民主的な国にするにはどうすればいいか。それには、大国を分割して小国の連合として再組織すればいい。

 このように連邦主義は個人の自由を実現するための国家の適切なサイズという問題から出てきたので、共和主義の副産物です。

*時代塾MLへの関さんの複数の投稿を、ご了承をいただいて編集したものです。[松本]*
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by shiryouko | 2005-12-09 07:31 | 政治体制・天皇制