<   2005年 11月 ( 7 )   > この月の画像一覧

大韓民国憲法 第73条【外交、宣戦、講和権】
第73条 
 大統領は、条約を締結し、批准し、外交使節を信任し、接受し、又は派遣し、宣戦布告及び講和を行う。
[PR]

by shiryouko | 2005-11-21 21:41 | 安全保障

大韓民国憲法 第39条【国防の義務、兵役義務】
第39条
1 すベて国民は、法律が定めるところにより、国防の義務を負う。
2 何人も、兵役義務の履行により、不利益な処遇を受けない
[PR]

by shiryouko | 2005-11-21 21:32 | 安全保障

歴史の学び方について—「近現代史論争」の混迷を超える
関曠野著
窓社 Xシリーズ
ISBN: 4943983987
1997/07
¥1,260 (税込)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4943983987/249-0788849-6858713?SubscriptionId=18SW0XNXAF6TQMS0KA02
*歴史教育の問題から出発し、自然法や共和制を一巡りして市民改憲の提言に至る。改憲フォーラムの思想的な背骨をなす本の一つといえる。[松本・記]

「法は実力と道徳のせめぎ合いの上に成立している。そして法の歴史は、最大限の力と最小限の道徳から最小限の力と最大限の道徳への、たゆみなく辛抱強い歩みを証言している。法の歴史は、力から道徳への人類の教育課程にほかならない。力による裏づけなしには、法は効力をもたない。しかし法を法たらしめているのは、いつの日か人類は力ではなく道徳によって社会秩序を維持するに至るであろうという希望なのだ。法とは、この希望の別の名なのである。」
(p22より引用)[白崎・記]

[PR]

by shiryouko | 2005-11-19 13:10 | 参考文献

軍事力をめぐる時代塾の議論
[関]
1)軍というものをどう考えるか
2)日本国にとって国防とは何か
3)自衛隊をどうするか
 ーについて討論を始めることを要請したいと思います。
--------------------
[鏡]
 日本の明治期からの動きで有名な言葉は「利益線」と「生命線」であり、この線は「解釈改憲」どうよう動いてしまいます。・・・
 そこで「自衛」とか「防衛」という場合に、なにを「自衛、防衛」するのか、どのように防衛するのか、を個別の法ではなく、憲法議論に際し行うべきか?は議論しておいてもいいと、思います。
------------------
[松本]
軍隊(ないしそれに類する組織)の機能として、
1、戦争を行なう(侵略と防衛の線引きは果たしてできるのか?は措くとして)
 あ、侵略戦争
 い、自衛戦争
2、国土を防衛する(1と同一視しないこと。防衛=戦争とは限らない)
 あ、戦争
 い、テロなどの組織的犯罪
3、住民の権利を守る(これも1と混同してはならない)
 あ、交戦状態の時
 い、自然災害などの時
 う、その他のパニック時(食糧難とか石油ショックとかドル暴落とか)
4、国際法秩序を守る
 あ、国連の平和維持活動や国際協力活動
 い、在外邦人の保護

 などがあるが、ここで問題外なのは1-あ、4-い(侵略戦争の口実に使われることが多い)。残った機能に関して、どのような組織によるどのような活動が有効なのか。

 軍隊の目的が国土防衛と住民の人権擁護だけだとすれば、それは消防庁の管轄で良いのではないか。
------------
[白崎]
 私も、国内の自衛ということを考えたときには、上記のイメージです。私の住んでいる地域も、ムラの消防団があって地域の人が自治会として参加しています。火災や水害などがあると専門集団の消防と共に活動します。つい最近までの自治会消防団長は、地元の酒造会社の社長がやっていました。スイスの民間防衛の考えもその延長でしょう。
------------
[関]
1)第二次世界大戦をもって総動員の工業的な国民戦争の時代は終りました。冷戦期の戦争は内戦ないし内戦への同盟国の介入として発生したものです。その冷戦も終り、今の世界で起きているのは軍事ではなく政治によってしか解決しない「紛争」です。世界最強の米軍がイラクで窮地に陥っているのも、そのためです。
2)同盟の時代はもう過去のもの。その中で日本の安全を脅かしているのはアメリカとの同盟です。このままでは米中の衝突に巻き込まれる恐れがある。
3)自衛隊は始めから米軍の補助部隊として作られたので国防には関係がない。これが議論の要になることでしょう。
4)そこで国防といえば鏡さんが言うように「何を守るのか」が議論の根本でなければおかしい。今の日本にマキアベリが守ろうとしたイタリアの都市の文化みたいなものはあるんでしょうか?
5)それはさておいても、日本の国防には戦力は殆ど必要がない筈。中立国になればシーレーンの防衛など気にする必要はなくなる。大戦中でも中立国の船舶が攻撃された例はありません。また日本の地理的位置にはスイスやポーランドのような戦略的価値がない。ただユーラシアをコントロールしたいアメリカにだけ日本列島と沖縄は価値があるのです。
6)だから純粋な国防としては、海上保安庁を沿岸警備隊に、消防庁を国土警備隊に格上げすれば充分でしょう。
7)それでも軍が必要だとすれば、それはあくまで国際協力のためでしょう。
8)そこで急に第九条を評価したら妙に思われるかも知れませんが、自衛隊が憲法の制約で「戦力なき軍隊」を建て前としてきたことは再評価していいかも知れない。戦争がなくなった世界における軍の在り方を先取りし軍の新しいモデルになるという見方もできる。
9)つまり人間的安全保障を原則とする破壊ではなく建設のための軍隊、人道援助と災害出動を基本的使命とする国際協力機構ということです。パキスタンの震災を見てもやはりヘリなど機動と補給の高い能力をもった組織は必要なようです。また治安という点では軽火器ぐらいは持っていていい。そういう軍隊には、戦闘より語学や地域文化の知識、医療活動やNGOと連携できる能力などが要求されると思います。こうした軍のイメージの転換ということをフォーラムの論題にしてもいいのではないでしょうか。
-------------------
[関]
 軍と国防の問題では改憲フォーラムは、1)「何を守るのか」、2)「現代の軍事に
ついて適切な認識を持とう」という二点を議論の柱にしたらいいと思います。

 今の世界で起きているのは軍事ではなく政治によってしか解決しない「紛争」です。
 
先に上記のように書きましたが、ロイター電が英国の軍事問題の第一人者であるルパー
ト.スミス将軍の「実力の効用」という著書を紹介しています。スミス将軍は現在は
引退していますが、湾岸戦争では英軍の機甲部隊を指揮、ユーゴ内戦でも国連軍の総
指揮をした英国きっての軍人です。この本で彼は、国家間の総動員の工業的戦争はヒ
ロシマへの原爆投下で終り、今は冷戦も終って「もう戦争というものはなくなった」
と述べているそうです。そして現代の局地紛争や国家の破綻、テロは従来の軍事力で
は解決しえないことがイラク戦争ではっきりしたと断言している。
 英国の有名な戦略研究所もその年次レポートでこの見解を支持している。そしてス
ミスによれば、アメリカやNATOよりEUの方が国家建設、治安の維持、インフラの再建
などの経験が豊かなので紛争をうまく解決する潜在的能力がある。知的な軍人は皆そ
う考えているんでしょう。今頃になって自衛軍を作ろうなどと言っているどこかのト
ボケタ国は半世紀以上前にタイムスリップしているようですね。
---------------
[新井]
 軍隊というものの本質を変えていく際にポイントとなるのは、自治との関わりを考えることにあるのではないでしょうか。自治の政治の在り方と軍隊を連動させることによって、かなりその毒を除去できるのではないかと考えます。たとえば外征のための軍隊は(国際協力などのケースもありますが)、私見では不要です。日本が連邦制になったとき、統合的な武力を廃止し、警察が建前上そうであるように、自治体(この場合は州)の指揮下に置かれるべきではないでしょうか。
 憲法として考えるなら、「国権の発動とその象徴たる武力と武装組織は永久に放棄する。ただし住民にその存在意義と基盤を置く自衛組織は、各自治体の判断により常設することができる」というようなものが良いと思います。
---------------
[松本]
 考えるべきことは、軍隊は巨大なテクノクラートと既得権益の集団である、ということ。イタリア憲法ではないが、民主的な軍隊、あるいは官僚風味を極力抑えた軍隊とはどんな組織になるのか(一例はスイスの民兵組織や地域の消防団の延長線上にあるような自衛組織)、どこに所属してどうやって維持されるのか、といったことは考えるべきであろう。
[PR]

by shiryouko | 2005-11-14 09:33 | 安全保障

自民党改憲案と公共の福祉
◆第3章 国民の権利及び義務
 ●自民党案
 第10条(<日本国民>)日本国民の<要件>は、法律で定める。
 第11条(<基本的人権の享受>)国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
 第12条(<国民の責務>)この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力に<よって>、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないので<あって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ>、常に<公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。>
 第13条(<個人の尊重等>)すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、<公益及び公の秩序>に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


上記は、新しい自民党の改憲案であるが、これは、現行憲法には、「権利ばかり書いてあり、義務がない」という年来の自民党保守派の見解を盛り込んだ形になっている。
これは、現行憲法の「公共の福祉に反しない」という文言に対する批判とも受け取れる。

しかし、下記の資料をみていただきたい。「公共の福祉」に関しては、1949年の丸山真男らによる「公法研究会」において「憲法改正意見」として提出されているものがある。

以下、引用

[第12・13・22・29条]この四つの各条文のなかから「公共の福祉」という言葉を全部削除する。
[理由] ---前略ーーー ところが、この憲法は、この重大な基本的人権の享有に一つの制限を付けている。それが即ち、12・13・22・29条に現れている「公共の福祉」である。つまり「公共の福祉」のためには基本的人権も一定の限界を有するというのである。基本的人権がいくら尊重すべきものであるといっても、他人の迷惑もかまわずにその権利を享有されることはたしかに考慮の余地がある。これを認めるには毫も吝かでない。唯問題なのは、その限界を測る基準が、意味の頗る曖昧な「公共の福祉」という概念に求められたことである。かつて軍閥官僚支配の時代に「滅私奉公」というこれ亦為政者がその内容を自由に解釈しうる漠然たる標語のために、個人の権利が勝手に無視された歴史をもっている我国である。「公共の福祉」という言葉が、再びかっての「滅私奉公」的解釈に利用される惧れがないとはいえない。とくに17・8世紀のプロシア絶対制官僚国家において、この公共の福祉Salus Publica という言葉は、専制君主の便益のために人民の自由を無視し、その財産を
収奪する場合にいつも用いられる常套句であったことを想起する時、民主化の日なお浅い我国でこうした言葉によって基本的人権の限界を示すことは甚だ危険といえよう。基本的人権の極端な主張が、社会になんらかの
危害を及ぼす惧れのある場合は、常に他人の基本的人権を毀損している時である。(中略) その意味において
基本的人権の享有に対する制限も、同じく基本的人権によることとし、「公共の福祉」という如き曖昧な、内に非民主的解釈の余地をのこす言葉は本憲法の根本精神に基づいて、この憲法の箇条から、ことごとく削除することを主張するものである。

上記をみると「公共の福祉」もあいまいである。
まずは、世界人権宣の第29条の一
「すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。」
という文言を基礎にすべきだと考える。公の秩序などと文言化すべきではない。
【白崎・記】

[PR]

by shiryouko | 2005-11-13 22:14 | 主権

イタリア共和国憲法 第117条
 イタリア共和国憲法 第117条
3 以下に掲げる事項は、国と州の協力的立法に属する

 農村共同銀行、土地および農業の開発のための州のクレジット制度
[PR]

by shiryouko | 2005-11-03 23:10 | 農林水産業

ドイツ連邦共和国基本法 第74条 協力的立法分野
ドイツ連邦共和国基本法 第74条
1 協力的(concurrent)立法は、次の分野である。

 十七 農林業生産の振興、食糧の確保、農林業生産物の輸出入、遠洋漁業、沿岸漁業および沿岸保護

 十八 土地取引、土地法(開発負担金徴収の権利を除く)、農業小作制度、住宅制度ならびに土地開発および定住制度

 二〇 食料品、嗜好品、生活必需品、飼料、および農林業の種苗の取引、植物の病虫害からの保護ならびに動物保護
[PR]

by shiryouko | 2005-11-03 23:04 | 農林水産業