主権者をめぐる、これまでの議論
Commented by 松本和志
 だれが国民かを規定するのが国籍法、国籍法を運用するのが政府(国家)、と考えると、じつは「国民主権=国家主権」に他ならない、ということになりますね。
 あと、英語版の日本国憲法を見ると、前文や第1条のpeopleも第10条のnationalsも日本語版では「国民」になってしまっています。単なるニュアンスの違いでは済まない重大なズレが双方の間に存在することになります。
 外からは(英語版)人民主権に見え、内に対しては(日本語版)国家主権として働くように「国民主権」なる言葉を選んだのでは?という気さえします。
 東京都の在日外国人職員に対する国籍による差別も、最高裁判決では「国民主権」の名のもとに正当化されました。しかし、英語版日本国憲法第14条では「All of the people」の差別を禁じているので、英語版に照らせば違憲ということになります。
Commented by 鏡 豊
 マッカーサー草案第16条は交渉にあたった日本側が削除しています。
 現行憲法第10条は明治憲法第18條を蒸し返したものです。
 マッカーサー草案を日本用に直したのは明治官僚ですから、ネイション・ステイトを構成するナショナルという発想はなく、あくまで「臣民」のまま言葉だけ「国民」にしたのでしょう。
Commented by 白崎一裕
 国家の法に従う者が国民であり、その法を制限する上位の存在としての権力の出所としての「人民」ということになりそうですが、この前後の社会契約論の文章は、翻訳では、かなり難解といえます。
Commented by 鏡 豊
 マッカーサー草案第16条削除についてのひとつの説明は、「世界人権宣言と日本国憲法」ブログのカテゴリー第2条「差別の禁止」に挙げておきましたジョン・ダワー「増補版 敗北を抱きしめて」(岩波書店2004年1月翻訳 下巻159頁)があります。
Commented by 鏡 豊
 古関彰一「新憲法の誕生」(中公文庫1995年 p・187〜)は以下の書き方です。(以下引用)
 上の二つの引用から二つのことが大切だと思いました。
・国際人権法の国内法への優位を強調すること。
・国際法一般とすると「国連越境組織犯罪防止条約(2000年12月署名)の批准での「共謀罪」の正当化などの駆け引きに引きずられる。
Commented by 上田
 日本国憲法上に現れた《ひと》に関連する言葉の回数を数えた結果を投稿しておきますね。
 人間1回
 人類2回
 外国人0回
 何人19回
 国民41回
Commented by 松本和志
 たしか、かつて日本の学校教科書では「主権在民」の語が使われていたはずです。
 上田さんのようにきちんと数えた方がいいのですが・・・
 義務をさらに「国家の国民に対する義務」と「国民の国家に対する義務」に分けた場合、日本国憲法では、前者はただ一回、25条の生存権規定にしか出てきません。オランダ憲法(後者がゼロ、前者が4回、責務も含めると7回)などとは正反対です。
Commented by 白崎一裕
 権利と義務に関しては、世界人権宣言の第29条の1をめぐって議論してみると良いかもしれません。
Commented by 鏡 豊
 遅ればせながら「国籍法」を見てみました。
 やはり、「国家法」によって「国」そのものを決めないと国民も決まらない、というわけの分からない状態のようです。
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by shiryouko | 2006-01-03 15:57 | 主権



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